Aesthetics and the Looks of Things
美学とものの見え方 レジュメ
森功次
- 美学の多くの問いは、もの見え方や現われに関連するものである。
- J. O. アームソン「私たちの興味は、その対象がどう見えるか(聞こえるか、どういう味か、、、)にある」
- ヴィンセント・トマス「日常の見方では、対象に目を向けることはあるが、それがどう現れるかには目を向けない」「美的に見るときは、注意は現れに直接向かう。対象そのものには目を向けない。現れているのが何かにも注意を払わない。」
- つまりこれは、現れに目を向けることは美的な見方の必要条件、ということ
- トマス:「これこれのように現れること(apprearing so-and-so)」と「これこれであること(being so-and-so)」との違い」は、実利的関心をもつ者にとっては大事だが、美的に見る者にとっては重要ではない。
- 本論ではこの主張を検討し、その後、現れだけでなく感じられ方などにまで議論を広げた上で、つぎのように主張したい。
- 美的賞賛の究極の根拠となりうるのは、特定の見え方や感じられ方などのみである。
[Even at the outset] トマスの主張は事例や定式化がよくないので、検討が必要だ
- まず思い浮かぶのは、トマスの主張を誤りだとする応答。わたしたちは、絵画や彫刻が本当はどういうものであるかを見ようとしているはずであり、ぼーっとした者に作品がどう現れるかは重要ではない。
- トマスの主張はある程度は正しいのだが、事例や定式化がよくない。「現われ」というものがどういう意味なのか、検討が必要。
- 以下ではまずオリジナルな区分を導入する。
p.25 [I begin with some of] 現われを区分するぞ
- トマスの主張には「美的な見方をするときには、現われに目を向けることが必要だ」という含意がある。この「現われ」はどういう意味か。
- 「現われ」を区分するための例
(1)THE TIMESという文字の中の、「t」が短く見えるか、もしくは長く見えるか[1]、
(1)は見え方が正しい例。他方6は正しくない例。